ひょんなことから友達にもらったものに、自分が気づいてなかった不便を解消してもらいました。気づかぬ不便は解消のしようがないということにも。
未必の故意
「自分の行為によって、犯罪にあたる事実が発生するかもしれないと思っていたが、発生すればそれでもいいと思っていること」
※出典:https://imidas.jp/judge/detail/G-00-0093-09.html
らしいです。
みひつのこい。
小さい頃この言葉を聞いた時は、秘密の恋、の言い間違いだと思ってたけど、全くそんな浮いた話じゃなかった。
もう少し詳しく解説すると、
発生する「かもしれない」と思っているにすぎない点で、確定的故意とは区別されます。しかし、「それでいい」という投げやりな心情に陥っている点で、犯罪結果を消極的に受け入れているわけですから、故意ありとして非難されます。
たとえば、車を運転していて歩行者が飛び出しそうに見えたときに、ぶつかるかもしれないがそれでもいい、と思っているのが未必の故意です。
これに対し、「かもしれない」と知りながら「大丈夫だ」と思っている場合は「認識ある過失」と呼ばれます。
※出典:https://imidas.jp/judge/detail/G-00-0093-09.html
さまざまな状況がある中での一定の心理状態をカテゴライズし、該当する言い方がいろいろあるって異なんですね。
友達からの貰い物
洗顔リストバンド、ってご存知です?
私もなんとなくそういうものがこの世に存在しているのは知ってた。
で、それを友達からもらったのですよ
その時、大変申し訳ないことに、(そんなの使わないよぉ)と思ってしまったのです。だってそれまでも、知ってはいたけど買う気にもならなかったし…
考えてみてください。顔洗うときにいちいち着脱するんですよ?面倒そうじゃないですか。
しかしもらったからには、1度は使って感想を伝えしなければ。
ということで使ってみたら…?
問題発見と解決が同時に!
驚いた。
こんなハンドタオルバンドもらっても面倒なだけかと思いきや、いざ使ってみると…
何これ快適ヽ(;▽;)ノ
薄々は、気づいてたんです。
洗顔するとき、面倒だなって。何が面倒って、手のひらに水を溜めて顔を洗おうと手先を顔の位置に持っていったら。。。
水が腕を伝って流れて肘の方に垂れて、それが床にボタボタ垂れる。服のお腹部分のあたりがべじょべじょになる。夜寝る前だったりすると、パジャマ着替えないといけなかったりして。
面倒な上に、不快なのです。
なるべく水を垂らさないように、肘を無理やり上に上げたまま洗おうとしたこともあるけど、背中が攣ってやめました。それにそんな不自然な体制とると、手先の水が全部こぼれたり。
それがっ。このリストバンドをすることで、手先から伝ってきてた水分が、リストバンドに吸収されて止められる!!
私、顔を洗う時にこんなに悩まされてるんだ、ということを、問題が解決されてから知りました。なんてこった。
相似のことは他にもあって
考えてみると過去にも似たようなことは何度かあったんだけど、薄々(これは面倒だよなあ)と思いながら解決策を切実に探ろうとはしていないこと、たくさんあるんだろうなあと。
今回のことでも、不便、とまでは感じてたんです。でも解決しようとまでは思わなくて、こういうもんだよな、で、思考停止しちゃってたんですよね。
不便、とかじゃなくても、例えば旦那さんが前触れなく買ってくれたもので、「いやいやそんなの要らないし」とか思いながら受け取ったのに、気がつくと生活の中で最もヘヴィローテーションなアイテムになってたりすることがいくつあったか。
その不便や、自分で気づいてなかった「自分の欲しかったもの」が手に入ってから、それを欲していた自分に気づく、なんて、ラッキーすぎることだなこれ。
自分だけじゃ気付けないもの
というわけで、世界は広げるに越したことはない。
誰かから勧めてもらったものがあったら、興味がなくても、よほど拒絶する理由がない限り、試してみる価値はあるんじゃないかと。
もしかしたら、特に気にいるものじゃないかもしれない。でも、気に入らなかったからって、それまでも別に所持してなかったものなのだから、振り出しに戻っただけ。もちろんそれを購入するのに多大な金額がかかったのなら話は別ですが…
もしも。
それが大のお気に入りになったら、ものすごいラッキーじゃない?
自分だけじゃ、自分が欲していることにすら気付けなかったもの。それに自力で偶然辿り着けることもあるかもだけど、人のおすすめに乗っかってみるのも、一つの手。
信頼できる交友関係ってありがたいよね
ただし、自分にとって嫌な人からいくら勧められても試してみようとは思いませんよね。やっぱり勧められて受け入れたくなるものは、信頼ある関係性のある方からのお薦めなんです。
そして「人から見た自分に似合うもの」と「自分が思う自分に似合うもの」が違うって、よく言われますが、もしもそれが自分の好みでなかったとしても…
例えば先の旦那さんからの贈り物の例のように、(えー、こんなの使わないのになぁ)と最初はネガテイブな心持ちでも、大事な人からのプレゼントは断りにくいし、試すくらいはしてみるもの。
信頼できたり好きな人からの贈り物って、そのもの自体だけでなく、そこまでこちらの心の動きを持っていってくれる力もあるわけです。さらには、もしかしたら、未必の故意ならぬ、「未必の便利」や「未必の好き」まで明確にしてくれる。
ものだけじゃなく、考え方とか行動モデル。あらゆるものが、自分以外の人からもたらされてる例は多々あると思うのです。
自分などは出不精なので、ほっとくとついつい一人で行動してしまうのですが、何かとお付き合いしてくれる人がいるというのはありがたいことだな、と改めて(-人-)
そんなわけで、もし、誰かに何かを勧められたら、もしくは自分で情報を見つけた時も、これを機会と捉えて、できる範囲でいろいろ試してみるのをお薦め。
ハズレは損?
最近は、試して自分で好みではなかった場合に「損をした」と考える傾向が多く見られるそうな。そして損はしたくないから、そもそも試すことをしないそう。
損をせずに現状維持。
それも一つの考え方かと思います。
でも、何事も試してみないと、自分にとって吉か凶かは具体的にはわからないわけで、明確に不要なものがわかるというのは、自分には結構メリット大きいと思ってるんです。
お店の当たりハズレも同じ。
誰だって美味しくないものは引き当てたくない。私だって美味しいものの方が良いw
ただねー、2度とその店を選ばなくて良いという確証は得られるし、何がどう自分には合わなかったかという点を明確にしていくと、あら不思議。自分がどういうものを望んでいるかがとても具体的に見えてくる。
捉え方はそれぞれかもしれませんが、ハズレを引くこともデータの一つ。そう考えたら、「試してみる」ことには損をすることはとても少ない。
まあそれが高額なものの場合は、使った金額分が得られるデータに見合わないことはありますが、それが気になるくらいの高額であればまたリサーチ方法は変わってくるでしょうしね。
というわけで、自分が全く興味ない、または必要ないと思ってるものでも、実は使ってみたらとても便利で、自分には必要だったと気付かされれるものがあるかもよ?というお話でした😊
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