この半年、自分が書いた記事のことでずっと気になってることがあって。あくまで提案レベルなのですが、こんな選択肢はお持ちですか?
世界共通のハンドサイン
みなさん覚えておいででしょうか。
昨年11月にこんな記事を書きました。
声を上げることが難しいドメスティックバイオレンスの被害に遭遇していたり、誘拐・拉致など、その場で騒ぐと危険が予想されるケースで有効かもしれないサイン。
またそれを有効にするためには、このサインのことを一人でも多くの人に知ってほしい。そういう思いで↑の記事を書きました。
半年間ずっとアクセスランキング入り
しかし異常事態が。
ブログには、過去7日間のアクセスらキングというのを貼ってて、私自身も、どういう記事が関心を持たれてるのかな?と楽しみに見ていることがあるのですが…(PCだと右帯広告下、携帯だと各記事かなり下の方)
この記事が、昨年の11月にリリース以降、ほぼずっとトップ10内にいる。
自分の書いた記事が長く人に読まれている。それ自体は嬉しいし、当初目的の通りでもあるので喜ばしいことではあるのですが…
それだけ、事案に関連する該当キーワードにて検索をしてきてくれている方が多い、のかもしれないという点では、非常に気がかり。
いろんな方から相談を受ける中でも感じていたのことなのですが…潜在的な被害者が、実は結構多いのでは?という懸念が。
発覚しにくい被害
DVはとても発覚しにくい。
なぜならまず、
1)家庭以内のことを人様に位はあまり話さないという傾向があるから。
そして次に前提として、
2)自分が被害者だと認めたい人は少数派だと思うから。認めたくない気持ちが心理的なガードとなり、それが暴力であることも、自分がその被害者であることも認めない。
さらにそこに
3)「恋愛感情」「しがらみ」「義理」の一般的な「こうあるべし」に縛られるケース
4)「良心の呵責(それは意図的に負わされたものもある)」なども加わり、問題に煙幕が張られ、第三者には特に見えにくい。
また経験から言うと、加害者が意図的にその煙幕を張っていることは多く、実に巧妙な隠蔽工作の結果、第三者が知り得ない状況が作られてしまう。
その結果、被害者本人に自覚も生まれず、当人軽い愚痴くらいのつもりで、周りがギョッとするような凄まじいことを笑顔で話したりするのです。
聞かされた側も対処の専門家ではありませんから、迂闊に「それ、DVじゃない?」などと軽々しくも言えませんし、そもそも、日本にはよそ様の家庭のことに口を出さないという不文律のようなものがあります。
5)DV指摘したとしても被害者予備軍が気分を害し、人間関係を絶った結果、加害者に更に都合の良い環境を整えてしまうことにでもなれば、本末転倒も甚だしい。
だから言わない、指摘しない。
6)さらには「自分、幸せでーっす♡」みたいな有頂天発言が憚られることが多い文化だと、結果苦労話ばかりが表に出て来て…
「みんな苦労してるんだ、自分も苦労していてもそんなものだ」
などと思ってしまう。
これらの中の理由か、それらの組み合わせが生じ、社会的・環境的に、DVがが隠蔽され、発覚しにくい構造ができてしまっているのではないかと。
被害を受けてるのになんで無自覚?
でも被害を受けてるのに自覚がないとかありえる?と思いますよね?
フィジカルに、理不尽な怪我をさせられたら痛みも感じるし治療もする、加害者に謝罪も求めるでしょうし、場合によっては訴訟にもなる。
そして血を流していれば「どうしたの?!」と気づいてくれる人もいるけど…
心の傷は他者からは見えないので気づいてもらいにくい、と言うのが一つ。
次に、本心より優先させるべきことがあるという思い込み。
どんな関係性になっても結婚したら一生添い遂げるべき、とか、恋愛でも一途は美徳、とか、無責任な価値観は世の中にたくさんあります。それらを人に押し付けてくる人、絶対あなたの人生に責任取りませんし取れません。
でもいちいち逆らっていたら身がもたない。適当に同調しておいた方が世間的には楽だし批判もされにくい。それが知らず知らずの内に、自分の心をないがしろにしてしまうことに繋がることがある。
それらを優先する・被害に無自覚でいる方が楽・幸せ・労力が小さくて済む、とするのも、人によっては人生の戦術かと思うので、一概に否定されるべきものではないのですが…
犠牲の大きさは目に見えない。
「自分さえ我慢すれば(自信のなさ・自己評価の低さ)」
「みんな苦労してるんだし(無意味な比較)」
「目に見えない(他者からの確認が取れない=認識しづらい)」
などが重なると、被害者でいることに無自覚でいてしまうのも、不思議ではないのかなと。
被害に無自覚なままは過ごせない?
では被害に無自覚なままではいけないのか?
自分の意見としては、いけなくはないけれど、心にも限界強度というものがあるので、やっぱり自覚して早期に対処するのが良いと思う。
概念的なことでいうと、人は心と体でできています。
そのどちらかに負担がかかれば、もう一方がサポートに回らなければなりません。
もしくはまだ機能する心の部分を使って最後の力を振り絞り、耐えていかなければなりません。しかしそれが尽きれば。。。心を戻すのは容易ではなく。
バランスの悪い負担は疲労を増加しますし、効率も落ちる。結果そこから生み出される成果や環境、人との関係性などには劣化が生じる。
だから被害を自覚して、できる手立てを取るなり軌道修正をして、心身ともに効率よく、より楽に楽しく過ごしていけた方が良いのではないかと。
どうやったら自覚できる?
では具体的には、どうやったら自覚できるのでしょう?
近年DVは社会的に大きな問題となっていて、コロナ禍においては、家族単位が閉鎖的な環境的に置かれざるを得なかったことも重なり、その被害数は世界的に増えたと聞いています。
社会問題になったおかげで、専門機関の客観的な指針のようなものが出ているので、それを見て当てはまっている事案がないか、チェックしてみるのも手かもしれません。
ドメスティック・バイオレンスとは
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/dv/02.html
※こちら↑には、相談の対象となり得るものを記載されています。
該当する項目があったからと言って、すべてが配偶者暴力防止法第1条の「配偶者からの暴力」に該当するとは限りません
また上記は「どういう事案か」を記していますが、被害を受けていいる人が感じやすい感情や状況も、こちらにまとめられています。
ドメスティック・バイオレンスの特徴
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/dv/04.html
・なぜ逃げることができないのか
・被害者に与える影響
・子供に与える影響
・加害者のタイプ
などの項目があり、「自分が我慢すればよい」だけの問題ではないことも示唆されています。
自分のことはもちろんですが、子供さんや周囲に与える影響を知ることで客観視できるようになった結果、自覚が持てるという可能性もあるかと思います。
もちろん、個別に環境・状況があるので、ここにあることに多少当てはまったからと言って安易に周囲を加害者扱いするのは、もちろんお勧めできませんが、一つの指針として。
上記以外にも、「DVチェックリスト」のようなキーワードで検索すると、各期間や自治体の資料が出てきますので、いくつかを見てバランスをとりつつ、認識を深めていくのも良いと思います。
被害者だと自覚したらどうすればいいい?
もしも自分はDVの被害者かもしれない、という自覚が生まれたら、被害の度合いに合わせて、適宜な対応を取ることが必要かと思います。
例えば、アザができるほど殴られていている場合であれば緊急に安全を確保する、などの必要性があるでしょうし、準備をする余裕があれば、より効果的な目標を得て準備を進めるのが良いでしょう。
なんにしても、まず専門家の意見を参考のために聞いてみる、というのも手。
支援の関係機関
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/shien/index.html
※私が利用したことがないため、各機関の信頼度についての言及ができません。その機関の制度によってはボランティアなど、プロが対応していないこともあるので、短絡的にならず、状況を勘案し、選択肢を増やす方法として受け取ってもらえたら幸いです。
実は海外赴任や体動にはトラップがいっぱい
海外赴任・帯同トラップ
さてここからは、日本にお住いの方から見ると特殊なケースかもですが…
海外赴任やそれに帯同している場合は、日本国内にいる時よりも、DVの発生し易い要因がいくつかあります。
・実家などの逃げ場がない
・帯同家族の収入経路が断たれる(配偶者が働けないケースがある)
・生活実費が片方に管理されがち
・生活環境の違いが家族全てにストレス
などなど。
何かあった時に、実家や収入があれば解決する、という側面もありますが、「それらがない」という環境が、片方を優位に、片方が不利な状況に強制的に置かれてしまうことがありますね。
環境が人を作ることもある
環境が人を作る、という言葉をご存知でしょうか。
本来そんな人でなくても、ある環境に置かれることでその環境で許されることをする人になってしまう、というのは、誰しにも起こり得ることです。
喫煙に関してさほど厳しくない環境になったため、せっかく禁煙していたのにまた吸い始めてしまった、本数が増えた、とか…
取り締まりなどが緩いため、厳しく守っていた日本のコンプライアンス基準を全く気にしなくなってたり…
それらが家庭内のこととなると、穏やかだった人が居丈高になったり、ネグレクト状態になったり。自分たちを見ている身近な人たちがいなくなると、変わってしまう「状態」ってありますからね。
それが証拠に、海外にいる間はうまくいかなかったものが帰国すると、憑き物が落ちたように元に戻ったとか、逆に海外にいる時にうまく行ってたものがいかなくなったとか…
いろいろ。
とかく環境というのは、その人の「状態を作る」ことに影響するもの。それは加害者被害者を問わずに当てはまることかと思います。(もちろん変わらない人もいる、というのは大前提です)
逃げ場がない=我慢するしかない、ではない
ではそんな「変化」が起きたらどうしてたら良いか。
現実問題、海外には実家も友人宅もない。だから「諦めるしかない」と思ってしまうと絶望的なので、無意識に「そういうものだ」として、飲み込むケースがあります。
辛いことはなるべく考えたくないですものね。物事の明るい面だけを見る、というのも、時として悪い考えではありませんが…
加害や被害を無視するのは、違う。
一時的な避難なら、日本よりもずっとやすい金額で泊まれる宿はいくつもあるし、チケットも個人で手配できる時代。
それらを実行するためには日頃から、というか、海外にいるなら最低限、スマホを使っての情報収取は必須。
手段の確保は気持ちの余裕。いざという時のためだけでなく、異変に早期に気づいて対処できるためのものでもありま寿司、そもそも海外生活でネットのスキルは、諸々持っておいた方が安心ですね。
相談先を選ぶ
海外にいると普通の話相手も限られますよね。日本にいた、なんでも話せる友達や家族。会社の同僚。海外でできた友達もいるけど、生活リズムが違う人だと時間が合わなかったり。
ただ…愚痴程度のことならいいのですが、暴力が絡むような深刻な問題は、素人に話しても解決の糸口は掴めないことの方が多いかもしれません。
風邪をひいたら内科にかかるし、パソコンが壊れたらPCショップに持ち込むのです。DVや心の話で気がかりがあるなら専門機関か心理カウンセラーさんを頼る。
極シンプルな考え方かと思うんですが、なぜか占いや友達同士のおしゃべりのみで済ませてしまい、カウンセリングは選択肢に入らないことが多いようにいみ受けられる日本の文化。
もったいないいなと思ったりします。
とはいえどこを頼ればいいの?
実際には対面でのカウンセリングが理想かと思いますが、ホーチミンにはなかなかありませんよね。(存在したらごめんなさい)。
もし、ご家族が働く会社を頼れる場合は幸いです。
赴任を命じる会社が、帯同される家族までを範囲としたケアをしているケースもあるはず。
ただ自分が聞く範囲では、現状、そこまでカバーされていないことも多いようにお見受けしてます。
結果、会社に勤めるご本人なりご家族なりが帰国に至ってしまった例は、決して少なくありません。
そうなると会社にも負担が生じると思うのですが、「そこは各自で乗り切る」ことが前提のケースも多いんですね。
ではどうするか。
幸い昨今では、オンラインで諸々のサービスが受けられる時代。そして海外に出ている方も対象に含めたカウンセリングサービスはたくさんあります。
例えば、こんなカウンセリングのプラットフォーム。
cotree
https://cotree.jp/counselors
などは、ビデオや電話でのカウンセリングだけでなく、ゆっくりと考えて言葉にしたい方のために、テキストのカウンセリングもあります。
どういう悩みについて聞きたいのか漠然としている場合も、各項目を備え、またサイトによると一定の基準を満たしたカウンセラーさんが220名おられ、事前の質問に答えることにより、その方にとってベターな先生を紹介してくれるとのこと。
いやいや、そこ本当に大丈夫なの?高いんじゃないの?などというご心配もある方には、12のカウンセリングサービスを集めて料金や内容などを比較したこちらのサイトもご参考まで。
【お悩み・料金別】オンラインカウンセリングおすすめ12社を徹底比較!https://daily-tohoku.news/best/onlinecounseling/
ちなみに最初は、許容できる範囲の金額なり内容で、「まず試してみる」くらいの心持ちで開始し、合わない先生であれば速やかに方向転換(先生を変えてもらう、サービスを変えるなど)するのも大事かと。
そもそもカウンセリングということ自体に慣れてないのであれば、それが最初からうまく行くことを期待するのも尊大な話で。
普通の人間関係がそうであるように、どんなにスキルのある先生でも「相性」ってものがあると私は思うので、そこは神聖視しすぎず、遠慮のないよう柔軟に判断をしてくことも必要かなと思います。
残念ながら、こればっかりは人によってどの先生が正解かは変わってくるので、私から「ここがいいよ」「この先生がいいよ」とはお伝えできないのですが、専門家のアドバイスやガイダンスを受けられるきっかけとして、その存在を知ってもらえれば幸い。
実はなんでもない時にこそ、知っておくことが大事
さて、諸々について書いてきましたが…
追い詰められてゆとりがないときにあれこれを調べ対応するのは容易ではありません。
何も起こらず平穏無事に過ごせていいる間にこそ、こういう事例があるのだとういことを知っておくのは大事なことかと思います。
また知識を持って過ごすことによって、悪い事態を遠ざけることにもつながります。
まあ健康なときに病気に備えるのが難しいように、ピンとこない向きもおられましょうが、もちろんそのまま、何事もなく平穏に過ごされるに越したことはありません。
ただいま現在少しでも気がかりのある方は、ちょっと考えて見る、調べて見るのも悪いことではないかと思ったのでご提案でした。
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