さて、二日目は、相方さんがお仕事で、日中ちぇりは一人行動です。
一応、数年前に一度ベトナム経験があるので、バイクの波を泳ぎ切るのも、
さほど怖くありません。
いや、むしろ、初ベトナム経験後に日本に帰り、車が交通事故に於いて法律的に
弱者であることを縦に無謀な運転をする自転車や、放任すぎる親に連れられた無防備
すぎる子供の予測不能な動きに何度も怖い目にあってきたので、
『そこを人が横切ること前提』
の、ベトナムのバイクの大波の方が、安心感を感じるほどの穏やかさ。
といって、さほどの経験があるわけじゃないので、進行方向の信号機が点滅し始めた
途端に、横方向からのバイクが押し寄せてくるから、絶対にあわてて渡ってはだめだ、
とか、バスの前にとどまってはいけない、などの、相方さんの教えはクドイほど脳内リピート。
自分が納得しようがすまいが、その意味を知ろうが知るまいが、先人の知恵・知識というのは
尊重するに越したことはないのです。
実際、目の前の信号が点滅しだすと、日本なら走り出せば横断歩道を渡りきるのに
間に合うタイミングでも、横からのバイク津波がドドドーっとくるので、いくら人もバイクも
用心しているとはいえ、ベトナムでは自殺行為だということを、しっかり目の当たりに
確認しました(^^; くわばらくわばら。。。。
というわけで、信号を信じるな。
自分を信じろ!
を、合言葉に、通行時の注意は必要ですが、ベトナム、その他で気持ちをすり減らすことが
いまのところ、ほとんどない。英語がほとんど通じないので、言葉の不便はありますが、
何とか乗り切れてしまうのです。なぜなら。。。。
みぃんな、笑顔が素敵!!!
相方さんから聞いてはいたのですが、まぁ、マンションのレセプションの人などが愛想がいい、
というのは、お仕事だから、というのもあるからだよねー、くらいに思ってたんです。
が、それにしても、そのみなさんの笑顔と言ったら!!!
まるで子供の様に邪気がなく、仕事上の愛想笑いからは遥かに離れた、心からの笑顔っ。
子犬のような、などというと失礼に当たるかもしれませんが、こちらが相好を崩さずには
いられないなんとも天真爛漫な笑顔なのですよ。
そしてそれは、マンションの係の方だけに留まらないことを知るのです。
ベトナムの方と日本人は、顔のつくりは似ていても、やっぱり様子が違うので、
ちぇりが一人で歩いていると、じろじろ見られることもあります。どこか平和ボケしてるの
でしょうね(苦笑) 明らかに外国の人、そして日本人とわかり、なにやら視線を感じることが。
その際、いろんな表情でこちらを見る人がいます。
興味深そうに見る人もいれば、ヤブ睨みのような形相で見る人も(笑)
そんなとき、やだなー、と思って通り過ぎるのではなく、「シンチャオ♪(こんにちわ♪)」
と、笑いかけると、100%、とびっきりの笑顔が返ってきます(笑)
また、観光市場などに行くと、当然ながら客引きが声をかけてくるのですが、
そんな時に、アジア某国では目を合わせたが最後、腕rを引っ掴んで何か買うまで
話さない気負いだったり、その後何百メートル歩こうとも、ずーっと見ていけ、見ていけと
ストーカーまがいに食い下がられて、大層面倒な思いをするので、とにかく目を合わせない
ようにするのが最優先になってしまうのですが…
ベトナムはそんなにしつこくないし、露天商に声をかけられたくらいだったら、にこやかに
スルーできる程度の和やかさです。しかも相手は嫌な顔をするのではなく、笑顔。。。
あー、なんかよさそうなものを置いてるな、と、ガラス越しに店内を見つつ通り過ぎる瞬間で
さえ、店内のスタッフさんと目が合うと、ニコーッ(^▽^) としてくれたりして、その親しげな、
というか、邪気のなさすぎる笑顔に、最初はちょっと戸惑うほど(^^;
気になるレストランがあった際も、場所を覚えておく自信がないため、ショップカードだけ
もらっていこうと、すいません、食事ではないのですが。。。と、こちらは恐縮しながら
入ったところ、手の空いていた店員さんが数人とも寄ってきて、どうぞどうぞと言わんばかりに、
それはそれは嬉しそうにカードを渡してくれたりもしました。
食事じゃない、と告げたらがっかりさせてしまうんじゃないか、なんて心配はこれっぽっちも
必要ないよ、と言われた気がして、それは同時に自分がスタッフだったら、ガッカリしてしまう
可能性をはらんでいるのだな、と思い至り、恥ずかしくなってしまうほどの邪気のなさ。
ショッピングセンターで大きなカートを押す客でひしめく中、当然ながら、あっちこっちで
ぶつかったり、行く道をふさぎあったりする光景があるのですが、その際には、こちらは
反射的に、「うわっ、すみません!!」 と思ってしまうのだけど、そう言おうとして顔を上げると…
にぱーっ!!!(^▽^)
っとした笑顔がそこにあるのです。
ごめんなさい、じゃなく、
うひゃーっ、ぶつかっちゃったねー♪ とか。
おっとっとぉっ、危なかったねー♪ とか。
そんな感じ。
もちろん、人にぶつかって痛い思いをさせてしまった、とかなら、ごめんなさい、
と告げるのは当然だし、相手を気遣う、美しい対応だと思います。
が、あちこちで起こるような不可抗力に対しては、彼らのように、笑顔でやり過ごしたほうが、
どっちも気が楽なんじゃないか?と、生まれて初めて思いました。
日本人の、「すみません」 は、慣用句のようになっており、罪を認めたという意思表示では
ないのはよくよくわかっていますが、英語においては、「すみません、私が悪うございました」
ということにもなりかねません。はたして、狭い通路でカートがちょっと当たってしまったことは、
そんなに悪いことでしょうか? 不可抗力だしお互い様です。
もちろん、泥水はねて知らんぷり、のように、自分は悪くない、という態度が良いというわけでは
ありませんが、必要以上に申し訳ない、と思うことでもないよなぁ、反射的に出る 「すみません」
でも、相手を、謝れる立場に上げるようなものでもないよなぁ、と。
そんな時、まるで子供追いかけっこ途中でぶつかり、それがこの上なく楽しいことのように笑う様子
を思わせるような彼らの笑顔は、とても気持ちの良い対処じゃないかな、と感じるのです。
日本の、「すみません」 が、よくない文化だという意味ではなく、個人的に、その程度のことなら、
「うひゃっ、ぶつかっちゃったね(^▽^)」 みたいなやり過ごし方のほうが、トラブルがトラブルでなく、
むしろ、笑顔があるkとおで、楽しいことにすら感じるんじゃないかな、と。
ええ、この調子でビジネスやら、深刻な事態も笑顔で何とかしようとされたら、きっと、
勘弁してくれ!!と思う場面もあるでしょう(そういおう場面まで、そういう態度かどうかは
予測すらもできませんが。。。)
でも、不慣れで、言葉も不自由な新参者には、彼らの笑顔が、日々、どれだけ力になって
くれているか、そして楽しい気分にさせてもらっていることかわかりません。
もしも彼らがいつもしかめっ面で、些細なことにもささくれ立った対応をし、通りすがりの
人間からはなるべく目をそらすような態度をするようだったら、この国にいることがどんなに
苦痛だったでしょう(^^;
通じないながらにもコミュニケーションが必要な場合も、笑顔が入口だと、理解度も上がる
気がします。何より、こちらに向けられる笑顔は、自分の寛容さを増やしてくれます。
周りに寛容であることは、結局自分を寛容に扱うことでもあり、とても幸せなことだと思います。
また、確実に笑顔を返してくれるので、こちらから笑いかけることへの躊躇もなくなりました。
この調子で日本に帰って、道行く人にニパーッとやったら、きっと気持ち悪がられることでしょう(苦笑)
それはそれぞれの文化であって、優劣ではなく、全く個人的な好みですが。。。
思いっきり、人に笑顔を向けることと、笑顔を向けられることって、こんなに心洗われるものかと
かみしめる日々。旅行者に親切な国は多いけれど、こんなにも、笑顔を注いでくれる国は
初めてかも。ほほえみの国、タイももちろん素敵だったけど、ベトナムはさらに、笑顔パワーが
すごいです♪
初めて来た前回はゆとりがなくて、向けられた笑顔を見落としていたり、こちらも笑顔を
返しそびれたことが多かったのかもしれません。のんびりと時間があって、焦ることなく
生活できる今回感じてるベトナムの笑顔。これだけで、この国に滞在する価値があるとさえ
思えるほどです。
もしもベトナム(といっても、ちぇりがいるのは、ホーチミンだけですが) に来る機会があったら、
人にあいさつするときに、何かものを尋ねるときに、躊躇せず、笑顔で話しかけてみてください。
また、笑顔を向けられたら、遠慮なく、受け取ってください。
人によると思いますが、日本にはちょっとないくらいの笑顔の力が満ちています。
いいとこだなぁ、ほんと。ベトナム♪
コメント
自分が加害者の時はベトナム流
自分が被害者の時はアメリカ流
つまり
加害者の時は水に流す事を期待し
被害者の時はキッチリ被害を訴える。
そういう人が多いのが問題な気がします。
コメント、ありがとうございます♪
身近には、謝るべきことはすぐに謝る方が多いので、
そうかなあ?と、一瞬思ったのですが、そういえば
思い出しました。信号待ちで停まってるとき、
後ろからぶつけられたことがあるのですが、
その時降りてきた運転手、へらへら笑いながら、
「あ?ぶつかった?でも大したことないよね?」
などと、信じられないことを言いながらこちらに出てきた。。。
後日謝罪に来た際は、悪い人ではなかったのですが、
まさに、おっしゃられるところの、自分の非はまず
水に流そうということを考える態度だったと思います。
心理的に防御態勢が先に立つのはわからないでもないのですが、
明らかにどちらに非があるかが明確な時くらいは、
潔く謝ってほしいし、自分もそうありたいと思います。はい。